特別に偉大な業績を残さなくても
ただ淡々と、気負うことなく生きてきただけでも、
自分が辿ってきた道が多大な進化をもたらすものであった
ことに気づくとき、
われわれの誰もが心からの充足を味わうに違いない。
仕事か瞑想の、どちらかではいけない。
その両方を続けてきた人ほど確実にそうなるに違いないと。
少なくとも私は信じている、というより、
私にはそれが見えるのである。
「瞑想」という言葉で「ウッ」と感じたオカピさん。
そのような事から遠い、世間の雑事に右往左往している自分に
「心からの充足」を味わう日が、はたしてやって来るのか?

あるインドの聖者が
「私は、祈る手よりも働く手を尊く思う」(表現は少し違うかも)
とおっしゃっていたと、青山氏の本で読んだ覚えがあります。
祈るだけで何もしないのなら、淡々と働く人の方が尊い
というような意味に解釈したオカピさん。
ただ、自分や家族を養うために、もくもくと働くだけの人生だと
しても、1日が無事終わり眠りにつく前に
何事もなく過ぎ去った1日に「感謝の気持ちを抱く」ことも
瞑想とは言えなくとも、立派な祈りの気持ちかな?と思います。
そしてその積み重ねが「心からの充足」に近づくのかとも・・・

薬剤師 ブログランキングへ

にほんブログ村

↑↑↑ 皆様の健康で幸せな毎日を応援しています♪
毎日の皆様のクリックが励みになりますので
宜しくお願いいたします。
【関連する記事】